日本ではとかく若さをもてはやす風潮がある。若いこと、若く見られることを良しとして誰もが若作りをする。映画という娯楽にもそれが表れていると「君の名は」という映画のCMを見て改めて思った。
「君の名は」のCMを見て最初は細田守監督の作品かと思った。ヒットしているらしいと聞いて少し調べてみたら新海誠という別の監督の作品だった。どちらにせよ印象は同じだ。細田守監督は「時をかける少女」「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」が代表作のアニメ監督だ。どれもテレビでやっていたのを流し見したぐらいだが例外なく「高校生が大活躍して気になるあの子ともいい感じに」という作品だった。大人向けアニメがあるのも知っているが基本的にアニメは子どもに見せるもの、青春映画は若い大人つまりヤングアダルトが見るものという認識なのでこの手の作品が大人気とされ老若男女が夢中と報道されるのは不思議でしょうがない。
日本では高校生が主役の作品が異常なほど多い。「高校生モノ」というジャンルが確立されていると言っていいのかもしれない。その中で細田守監督は毎年のように高校生モノを発表しているので高校生に大変なこだわりがあり高校生が大好きでいつも高校生のことを考えている一種の変態さんなのだと思っていた。そういう偏見があって「君の名は」という夏のアニメ映画のCMを見て同じ匂いを感じたので誤認してしまった。
新海誠監督は映像の美しさに定評のあるアニメ監督らしい。ただ個人的にはデフォルメされ記号化され誰かに解釈された映像を見るよりはありのままの4K映像でも見せてくれたほうがありがたい。過去作品のリストを見る限りこの方も高校生にこだわりがある監督さんのようだ。二人ともアニメ監督ということもありポスト宮崎駿の声も上がっているがこれには違和感がある。共通項はアニメ監督という一点だけで作品はまるで違うものに見えるからだ。
ジブリは大人でも楽しめる子ども向けアニメだが高校生モノは十代から二十代半ばをオーディエンスとしたニッチなアニメに見える。ジブリは年齢や舞台設定にこだわりはなく題材も様々だ。一方高校生モノは学校やそれに類する限定的なコミュニティが舞台で主人公はもちろん高校生だ。高校生ばかりを取り憑かれたように描き続ける動機はわからないが不気味だ。散々ロリコンと言われ続けてきたあの宮崎駿監督ですらそんなことはしていない。その意味でジブリは登場人物の幅が広く全年代に訴求できるポテンシャルはあるが高校生向けアニメに群がるのは若い人たちしかいない。
もう一つ両者を分かつものがテーマ性だ。個人的に宮崎駿監督作品で評価が高いのはもののけ姫と千と千尋の神隠しと崖の上のポニョだがそれぞれわかりやすいテーマがある。もののけ姫は自然との共存、千と千尋の神隠しは子どもの頃の不思議な思い出あるいは成長、崖の上のポニョは生まれ変わりという異なったテーマで作られている。それに比べると高校生モノは高校生が活躍することが目的になっていることが多くテーマ性が見出しづらい。テーマのない娯楽作品は文化が合えば楽しめるがそうでなければ見向きもされない。クールジャパンなどと言っても内輪向けのガラパゴス作品を作っている限り海外から見てクールではない。
高校生という枠を少し広げると青春というものがある。高校生モノという言い方ではピンと来なくても青春映画と言えばわかる人が増えるだろう。この青春という言葉、外国語ではそういう概念がなく日本独自の考えのようだ。英語で青春映画にあたるものはティーンフィルムだ。ティーンエイジャーとヤングアダルト向けの映画のことである。いくつか例を挙げてみるとスタンド・バイ・ミー、バック・トゥ・ザ・フューチャー、ドニー・ダーコ、ミーン・ガールズ、ハイスクール・ミュージカル、ヘアスプレー、メイズ・ランナーなどだ。日本の青春、ヒーロー、キャッキャウフフだけで表されてしまう青春映画と違ってティーン映画はバラエティに富んでいてSFや恋愛や社会への反発や葛藤といったテーマの元に作られていることが多く高校生が世界を救うといったものはあまりない。ティーン向けとされるものでもハリー・ポッターやアメコミなどファンタジー要素が強いものは大人でも楽しみやすく作られている。
こうして見ると青春映画とティーン映画はターゲット層こそ同じだが内容は全く異なるものだとわかる。日本人はこれを見て面白いのか?外国人はあれを見て面白いのか?文化の違いが作品と作品作りにもこれほど大きな影響を与えているのである。アニメに限らず文化に依存したテーマ性の低い娯楽作品では多くの外国人視聴者を得ることは出来ない。誰にどんなことを伝えるためにどんなものを作りたいのか考えるのは普遍性を獲得するのに必須である。
最後にこういった青春映画に感化されてそれを絶対の手本やバイブルにしてなぞるような人たちには好きなことを好きなようにやりなさいと言いたい。楽しんだ何かが青春になるのであって青春のテンプレをなぞることは青春ごっこでしかない。幸せな人生のテンプレをなぞりたがる人も多い。SNSにリア充自慢や完璧な一日を投稿するために生きるのもそれを心から楽しめているのならいいが演出のために行動するようになっては本末転倒だ。妄信に囚われテンプレの奴隷になっていないか?比べるのではなく見つけるのが幸せだと知るべきだ。
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