大相撲春場所は日本人新横綱の稀勢の里が昇進後すぐに優勝という結果になったが稀勢の里は怪我をした時点で休場すべきだったと思う。
星勘定や八百長だけでなくモンゴル勢への差別的ヤジや贔屓の力士の変化はいい変化でそうでない力士の変化は悪い変化と相撲は空気の読み合いや根性論精神論がまかり通り「見えない力」も働く奥が深い世界だ。スポーツや興行を装いながらも何かあれば神事だと言い張って批判をかわすので白黒はっきりさせたい人にとってはもやもやする伝統芸能だ。
最初から台本やシナリオありきの伝統行事だと言ってもらえれば気持ちよく見られるかもしれないが下手にスポーツ的側面を強調し真剣勝負でやっていると怪我などのアクシデントがあった場合に疑心暗鬼になってしまう。勝負の世界で怪我での強行出場が賞賛されるならばその怪我=弱点を突く戦法も同じくらい賞賛されるべきだ。そうでなければ怪我がハンデではなくなってしまう。怪我した箇所は使わせない攻撃しないと相手方が配慮するようなことがあってはならないのだ。
稀勢の里は左肩を怪我していたのだから相手は右へ右へと回り込み左肩めがけて張り手を連発したり稀勢の里が出してきた右手を両手で掴み振り回したりするのが弱点を攻める正攻法だ。真剣勝負の世界ならばそうやって勝率を上げる力士を褒め称えるべきだしそういった戦法を推奨すべきだ。それを卑怯と言うのならば怪我が有利にならないようルールを変更すべきだ。怪我をして勝てば感動したと称えられ負けてもよくやったと言われるのに相手は弱点を突けば卑怯と言われ負ければ情けないと言われるようではとても公平な勝負とは言えない。
怪我した部位を重点的に攻められ負けた挙句後遺症で引退となっても「相手は素晴らしい戦術で私を負かした」と言えないのならば怪我をしたまま格闘技をすべきではない。真剣勝負であるならば怪我を盾に優位になることがあってはならない。
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