2021年1月19日火曜日

認知のゆがみが事実を捻じ曲げる 分断を生んでいるのはメディア

 分断を煽っているのマスコミだ。報道機関が事実と違う報道を繰り返すことでそれを盲目的に信じる人とそうでない人との間で分断が起こっている。政治思想に関係なく事実を正しく報道することがマスコミの最低限の役割ではないのか?メディアは根拠のないレッテル貼りをやめて事実を報道しその上で自分たちの色をつけるべきだ。

「トランプ支持者が連邦議会議事堂に乱入」とニュースになっている。マスコミはトランプの大統領就任以来「トランプ支持者は低学歴の田舎者、バイデンを支持しないのはバカ」というような論調での偏向報道を繰り返してきたがこれは一線を越えていると思う。誰がどこに投票したかは本人以外知る由もないし特定の思想を持った人やましてやトランプ支持者を一目で見分ける方法など存在しない。何者かが議事堂に突入したのは事実だがそれがトランプ支持者であったという証拠はないのだ。

トランプ嫌いが行き過ぎるとこれが「トランプが暴動を煽ってテロを起こさせた」と脳内変換されるようだがもちろんそんな事実はない。トランプは「議事堂へ行進しよう」と呼びかけただけで、議事堂前でデモをすることには何の問題もない。「デモの一部が暴徒化」という表現はよくされているが今回のように参加者全体を悪者とするような言い方は見たことがない。2020年はBLMという口実で暴動が繰り返されたが「黒人が暴動」や「BLM参加者が暴動」といった報道はされなかった。BLMはリベラル的思想で、バイデン氏も「(誰に投票するか決められないなら)あなたは黒人ではない」と言っているのだからこれは「バイデン支持者が暴動」となってもいいものだがそうはならなかった。

それが近くにトランプ支持者が集まっていた場合に限り「トランプ支持者が暴動」となるのだ。これが不信感を生んでいる。不法侵入は犯罪で、トランプ支持者とされる人たちがそんなことをすればトランプ氏には不利に働くということは普通の人ならわかるはずだ。だからトランプ大統領も「平和でなければならない。家へ帰ってくれ」と言ったのだ。支持する相手を貶めるようなことをするのは果たして支持者と呼べるのか?暴動で逮捕された人たちの投票先がわかるなら彼らを「トランプ支持者」とすることに問題はないがそうでなければ根拠のない悪意のある報道だ。

真っ当なトランプ支持者には犯罪を起こす動機がない一方でバイデンを担ぎ上げたい勢力にはデモを暴動に変えたい動機がある。それを口実にトランプ叩きができるからだ。これはBLM暴動にも言えることだがデモに乗じて暴動を起こすのは民主主義ではない。主張を貶めて偏見を生むデメリットしかない行動をするのは本当にデモ参加者なのだろうか?世の中には何かの評判を下げたいために成りすますという行為もある。差別主義者がBLMに紛れ込んで暴れたり極左が白人至上主義者のふりをして暴れたりしていないと誰が言えるのか。その検証をしない限り「バイデン陣営がトランプ支持者のふりをして議事堂に突入した」と言われても反論できないだろう。

米大統領選では不正投票疑惑をめぐってマスコミは検証もせずに「証拠はない」「根拠はない」と聞かぬ存ぜぬを繰り返したがこの姿勢こそが問題なのだ。新型コロナの変異種が出てきた時には「ワクチンが効かない証拠はない」の一点張りであったがそれは裏を返せば「ワクチンが(変異種に)効く証拠はない」と言っているのと同義だ。効くことを証明するのが製造者の責任でその検証も始まっていないのに「効かない根拠はないから大丈夫」と報じるのである。「不正選挙の証拠はないから不正はなかった」と言いつつ「ワクチンが効かない証拠はないから効くはず」とするのがマスコミなのだ。これをダブルスタンダードという。ワクチンに関して正確な報道をしたいなら「ワクチンは変異種に対しても効果が期待される」とすればよいのにそれをしないからワクチン反対派が盛り上がるのである。

「事実」とそれに対する「意見」を区別できることが議論を始める出発点なのだ。事実を色眼鏡で見たまま報道すればそれは「印象」であり「主観的な感想」でしかない。ありのままを伝えなければ報道はプロパガンダにしかならない。分断はそこで生まれているのだ。オールドメディアは都合の悪いことは結論ありきで「ファクトチェック」「フェイクニュース」と切り捨てる。ニューメディアは陰謀論のようなことをまことしやかに垂れ流す。どちらにも欠けているのは真実をありのまま伝えようという姿勢だ。

メディアに色があっても問題はない。事実に基づき批判することにも問題はない。だが色のついたメディアが偏向報道をして事実を捻じ曲げるのは大問題だ。「事実」と「意見」がしっかり区別されていればどの媒体を見ても事実がわかりそれをどう解釈するかは受け手次第ということになるが現実は自分たちの論調を補強するために捻じ曲げた事実を報道している。受ける印象どころかその土台である事実すら改竄されているのだ。これでは意見の違う者同士でわかりあえるはずもない。事実の認識自体が違っているので話し合いにすらならない。エコーチェンバー現象というものがあるが、現実にはそれ以上のこと、例えば自分と意見の異なるものを抹殺する魔女狩りのようなことが起こっているのではないか。

罪を憎んで人を憎まずという言葉があるが現実は坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという人ばかりだ。主張と人格、事実と意見を分けて考えることができなければ建設的な議論などできない。好き嫌いではなくやったこと、やろうとしていること、何が起きたか、どう思っているか、それぞれをきちんと分けて考えるようにしたい。

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