2018年11月28日水曜日

人道主義の正体は肥大化した自尊心 進む先は滅びの道

自称リベラルの人道主義者たちが幅を利かせるようになって久しいが理想を追い求めるあまり現実の制約を忘れてしまうと結果は悲惨なことになる。人道主義が徹底されると淘汰が起こらなくなり負担ばかりが増え資源が食いつぶされてしまう。崇高な理念を持つのは構わないが現実的選択をできる冷静さも持ち合わせてもらいたい。

人道主義とは聞こえはいいが実際は無責任で他力本願の正義であり、こうあるべきという思想で現実的な取捨選択ができない究極のエゴイズムである。資源は例外なく全て有限だ。思想は一見無限にも感じられるが考える時間が有限なので思想も無限ではない。愛も無限ではなく時間やお金を消費しなければその愛は表現できない。この世界に無限に存在するものなど存在しないのだ。

この大前提をしっかり理解していれば過度な人道主義に走るものはいなくなるだろう。個人として個人の資源を使って誰かに手を差し伸べることを咎める人はいないがそれがNPO、NGOなどとなり税金を原資としてくると話が違ってくる。人道主義者たちはエゴで他人を巻き込むべきではない。アフリカのかわいそうな子供たちを救うためのお金で日本のホームレスを救うこともできるのだ。税金を使うのならばその使い道は民意に委ねられるべきである。

人道主義は平等を主張するが権利の平等が結果の平等と混同されると問題が起きる。誰でも生きやすい社会が誰でも生きられる社会となると担税力の低い人や収める税金より受け取る税金のほうが多い人が増える。一般的に高学歴ほど子供は少ないがこれはより理性的であれば子供の生活環境を整えるために結婚を遅らせたり子供の数を能動的に決めたりできるからだろう。高等教育を受ければ無責任な性交渉で妊娠したら産むというようなことは減るのだ。

人道主義が行き過ぎて全ての人を手厚く保護しなければいけないとなれば淘汰が行われず理性的な人たちは責任のとれる範囲で子育てできるよう子供の数を抑制し、動物的な人たちは後先考えず性交渉をするのでより多くの子供を産む。そうすると理性的な人たちよりも本能的な人たちが増え、民主主義が数の論理である以上後者の声が大きくなる。この状態が続けば国民全体の知的水準が低下し、治安も悪化してくるだろう。人権の保護は必要だがそれと同時に緩やかな淘汰の仕組みも必要なのだ。

わかりやすい例がシングルマザーだ。シンママが増えることは貧困家庭の子供が増えることを意味する。これを手厚く保護すればシンママでもいいという人が増え気軽に性交渉をしてしまう人が増えるかもしれない。無責任な性交渉を止めることはできないが経済力のない世帯が子供をどんどん産んでしまったり、動物的な人が理性で衝動を抑えられずに性交渉をしてしまったりしなくなるような政策はあってもよいだろう。赤ちゃんポストは人道的ではあるがこの政策では性衝動を抑えられない遺伝子を持った子供たちが増えることになる。それよりも望まない妊娠をさせないような政策に力を入れなければならない。

差別を助長する逆差別 やりすぎたオバマの反動で弱者の救済と優遇について書いたが、弱者の優遇が人道主義の本質だろう。それはすなわち、資源が有限であることを考慮せずに弱者を助けなければならない、世界はそのために動かなければならない、強者はそのための犠牲になれという強迫観念にも似た思想だ。中南米からアメリカに不法入国をしようとするキャラバンやアフリカから船で不法入国をしようとする犯罪者を無条件に保護しようとするのが人道主義だ。人道主義を推し進めれば自国民がないがしろにされ国が亡びる。難民問題と言われているが実際は経済移民の違法入国問題である。

まず国が責任を持つべきなのは自国民に対してだ。自国民の安全が脅かされるかもしれないのを無視して不法入国者を無制限に受け入れてよいのか。人道主義者たちが「住む家がないからあなたの家に住ませてほしい。働けないので生活の面倒も見てほしい。」と言ってくる人たちを無制限に自宅に招き入れることができるならそれはそうすればいい。だが他国民の保護は自国民の保護より優先されるべきものではない。国家予算は国民のためにある。税金を取られるのに納得しているのは国が自分たちのためにお金を使ってくれるという前提があるからだろう。

今年は性暴力の撲滅に努力しているナディア・ムラドさんとデニ・ムクウェゲさんにノーベル平和賞が贈られたがここにも人道主義が見え隠れする。性暴力は戦争の道具とされているが問題なのは戦争であってその道具がなければ別の道具が使われるだけで性暴力を根絶しようが原因がある限り戦争はなくならないだろう。性暴力は犯罪行為であり当時国が責任をもって裁くべきものだ。それに他国が干渉するのは内政干渉ではないのか。移民を出す国を変えなければ移民はなくならない。受け入れは対症療法でしかない。

人道主義の考え方は素晴らしいものだ。だが資源は有限であり、国家は国民のために存在しているという前提を無視して暴走すればそれは国家転覆への挑戦に他ならない。限定的な資源という制約があり全ての人を無条件に保護することはできないのでどこかで線引きは必要だ。一人親世帯を減らすことに力を入れずに優遇だけすればそれは一人親の再生産を助長することになる。自国の困っている人を放置して他国民の保護に躍起になるのは国民への裏切りだ。他国の不法経済移民の生活を保障するのは国家の義務ではない。法を犯して密入国をするのは善良とは言えない。人道主義を声高に主張する人たちには国家とは、国境とは何のためにあるのかもう一度考えてもらいたい。

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