2018年9月12日水曜日

スポーツと国籍 アイデンティティとは何か

女子テニスの大坂なおみ選手が日本人として初めてグランドスラムを制覇したことが大きく話題となっているが私には彼女がアメリカ人だとしか思えずメディアの騒ぎっぷりが理解できなかった。書類上の国籍がそんなに大事なのか?日本人とは誰か?人種と国籍と民族のアイデンティティについて少し考えてみたい。

本人がどこに属すると感じているかのアイデンティティは本人にしかわからないが他者から見た見かけ上のアイデンティティがどうやって決まっていくのかはある程度推測することができる。まず人は見た目で判断される。雑に分けるなら黒人白人アジア人とその混血ということになるだろう。もう少し細かく見ていけばそれぞれの国に典型的な顔の人がいて同じ人種でも民族によって特徴があり違いがあるが判断材料の最初に来るのは何人に見えるか、である。さらによく見てみると服装や髪形や立ち居振る舞いで文化圏を想像することもできる。

次に話しかけてみれば母語やなじみのある文化や育った場所のヒントを得ることができる。この時点でたいていの人は相手が何人か判断するだろう。複数のアイデンティティを持つ人や国籍とアイデンティティが違う人もいるが外的には人は見た目と話す言語、話し方で何人だと思われるか決まると言ってよいだろう。それ以外の後付け情報は本人にとっては大事かもしれないが他人にとっては不随事項に過ぎない。

この視点で大坂なおみ選手を見てみると黒人とのハーフでアメリカ英語を母語とする彼女は完全なアメリカ人である。私は彼女に関する報道を見るたびにもやもやした気持ちがあったが、人は見た目と言語で相手を何人か判断するという結論に達したことでそのもやもやは晴れた気がした。彼女が自分を何人だと思っているかはわからないが少なくとも私は日本語で会話するのに日本語通訳が必要な人を日本人だと思うことはできなかった。彼女はこれからも英語を話し、日本に遊びに来ることはあってもアメリカで暮らすのだろう。私にとっては日本国籍保持者と日本人は同じではなかったのだ。

大坂なおみ選手と似た境遇で日本人ではない人もいる。総合格闘技のリョート・マチダ選手がその例だ。彼は日本人とユダヤ系ブラジル人を両親に持つ日系ブラジル人であり、総合格闘技の最高峰である元UFC世界ライトヘビー級王者でもある。にもかかわらず彼を知っているのは格闘技ファンぐらいだろう。ここで一つわかることがある。マスコミは日本国籍保持者であれば飛びつくという基準だ。国籍は変わることもあるが今後大坂なおみ選手がアメリカ国籍を選択するようなことがあればマスコミは沈静化するのだろうか。

人種民族は必ずしもアイデンティティにはならないという例もある。それが日系イギリス人のカズオイシグロ氏だ。日本人の両親を持つ純日本人で日本生まれで日本でも暮らしていたが彼は自分をイギリス人だと言うだろう。それはイギリスに帰化して国籍がイギリスだからという訳ではなく、イギリス文化で育ち自分がイギリスに帰属すると感じているからだろう。アイデンティティは帰属意識で決まることもあるのだ。

外国人力士を受け入れて久しい大相撲は混沌としている。ハワイ出身の曙、小錦、武蔵丸はみな帰化しており日本人だ。一方で朝青龍、白鵬、鶴竜はモンゴル人のままである。ブルガリア出身の元大関、琴欧洲は日本人になって鳴戸親方として力士を育てている。栃ノ心はジョージア出身で妻子は母国にいる。御嶽海と高安はフィリピンとのハーフだが日本人だ。日本文化の大相撲であっても日本人、ハーフ、帰化人、外国人と力士の出身は様々だ。これは相撲に限らないが帰化した人は配偶者が日本人であったり競技引退後も日本に残っている人が多い印象がある。

サッカーで日本代表になるには日本国籍が必要なので日本代表は必然的に日本人となる。その中には育った場所で日本人になったハーフナー・マイク選手がいる。彼の両親はオランダから帰化した日本人で血統的には完全にオランダ人であるがれっきとした元日本代表選手だ。生まれも育ちも日本で日本国籍もあるなら私はその人は日本人だと感じる。来日したのが遅く完璧な日本語を操れるわけではないが日本で暮らしたことにより日本人になっていったラモス瑠偉氏も私は日本人だと感じられる。一方でサッカー解説者のセルジオ越後氏は日系ブラジル人だ。育った場所は決定的要因ではなく帰属意識はそれとは別のところにあるようだ。

帰化した元外国人はもちろん日本人だが、最近ではハーフの選手も増えている。彼らは身体能力に秀でていることが多くそれはスポーツでは有利になる。私はサッカーの鈴木武蔵選手や富樫敬真選手のような日本育ちの人を外国人だと感じることはない。陸上ではケンブリッジ飛鳥選手やサニブラウン・ハキーム選手がハーフだが同じく彼らが日本代表であることに違和感はない。ただ名前に日本の要素がないと一見わからないのでおや?とは思ってしまうがネイティブな日本語を話しているのを聞けば納得する。

サッカーは例外だがスポーツ界では日本代表だからといって必ずしも日本語が話せるとは限らず、また日本人であるとも限らない。アイスダンスのリード姉弟がその例だ。彼らは日本語があまりうまくないが日本人のハーフでアイスダンス日本代表としてオリンピックに出場している。ラグビー日本代表は出生地が日本、日本人のルーツがある、日本に3年以上住んでいるのいずれかでなれるので多競技と比べて緩い条件となっている。申し訳ないが日本代表であっても日本語を話せない人を私は日本人だと感じることはできなかった。

そうして考えてみると血統、育った場所、国籍は決定的要素ではなく私は言語と帰属意識に日本人を感じやすいことがわかった。そこで帰属意識を突き詰めていくと日本に住んでいたことがあったり日本という国への愛着があったりすることが帰属意識を生むのではないかと思えてきた。それを居住履歴と文化の理解と置き換えることで私が相手を日本人だと感じる4つの要件を定義することができた。

それは1.日本に住んだことがあり、2.日本語を話せて、3.日本の文化を知っていて、4.日本国籍を持っている人、というものだ。一つ目はもちろん期間にもよるが日本という国がどんなものかある程度知っているという担保になる。二つ目は日本人同士で意思疎通ができるという意味で重要だ。三つ目は曖昧だが例えば「礼節」と聞いて言葉の定義ではなく作法や言葉遣いを思い浮かべたり、「慣習」と聞いて空気を読んだり本音と建て前を使い分けたりするというのを理解できるようなものだ。四つ目は最後の判断に使われるもので、日本に長期滞在している外国人と日本人を分かつものだ。

日本は血統主義ではあるが外国人でも日本に住んでいて日本人になる覚悟があればなることができる。日本への帰属意識が大前提となるが1から3までの条件を満たしていれば日本人になるのはそれほど難しいことではない。逆に大坂なおみ選手のように4だけ満たしているような人は例外的で、外国に住んでいて外国語を話しながらも自分は日本人だと感じる人は少数派だ。なぜならそういった人たちのほとんどは日系人になっているからだ。

自分が何人なのかというアイデンティティは最終的には帰属意識と国籍によるが、他人はそれを見た目と話す言語から判断する。グローバル化が進みつつも文化の違いが国民性の違いとなっている中で一国の文化に属しながら別の国の人で居続けることは難しい。メリットがあるということで国籍を複数持っている人もいるがコウモリと言われないためには帰属意識をはっきりさせて母国と呼べる国を見つけるべきだろう。

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