日本文化の若さへの渇望は日本人は高校生がお好き 青春の神格化でも触れたが大ヒットした「高校生モノ」の「君の名は」がテレビで放送されたので日本を知るための修行だと思い見てみることにした。ついでに放送されていた他の新海誠監督作品にも目を通したがなるほどこれは日本を象徴している。これを好む日本人が多数派である限り日本という国は変わらないだろう。
まず新海作品は映像がきれいと聞いていたので大変がっかりさせられた。写真をフォトショップで加工したような実写風の背景にのっぺりしたキャラクター、時折現れる明らかに3DモデリングのCGという統一感のない絵に私は美を見出すことができなかった。印象派の風景画は美しい。壮大な自然ありのままも美しい。緻密な建築物も美しい。フルCGアニメでも美しいものはある。だがこれは何もかもごちゃまぜにした、まるで日本の街の景観のようではないか。特に光の当たり方には不自然なものを感じ気味が悪く、この人はただ単に電車と空が好きなだけではないか?と思えた。ロケハンしてトレースなりレンダリングするだけで想像力がない。
ジブリの背景と比べてみるとよくわかるがあちらは全体の調和をとても大事にしている。ところどころとても写実的であったり空想のものが混じっていたりするが全体としてみるとハーモニーがある。電車を比べれば一目瞭然だ。「君の名は」で描かれたのは現実を思わせるそのままの電車、「千と千尋の神隠し」で描かれたのは「機能」に焦点を当て創作された電車。モチーフが同じでもこうも書き方が変わってしまうのか。「となりのトトロ」にはバス停で待つシーンがあるがあれはまずアニメ世界に「溶け込ませた」本物のバスが最初に来る。それから有名な「猫バス」が来るのだが違和感はなかった。ファンタジーに溶け込んだ実写であれば気にならないのだ。一方「君の名は」は舞台を現代日本に設定して風景も現実にあるものをそのまま描くだけなのでおかしな部分を見つけてしまうと粗が目立ち説得力がなくなり作品に没頭できなくなる。
実写風描写で想像力を奪われていると架空部分の説得力がなくなるのだ。3年間の時間のずれに気付けないものなのか?入れ替わっている間一度も日付を確認しなかったのか?スマホテレビましては学生なら受験の年を気にしないわけがないだろう。未成年飲酒は演出の都合で仕方ないにせよあれ?と思うことが多過ぎる。彗星が割れてから避難して時間的に間に合うのか?現実世界のものをそのまま使えば否が応にも現実をイメージさせられる。そこにおかしな点が多々あれば作品自体に集中できない。
ちぐはぐなのは映像だけではない。SFにはSFの流儀、ファンタジーにはファンタジーの流儀というものがあるが「君の名は」は意図的にぐちゃぐちゃにしているのかテーマもなければ舞台の必然性もなく都合の良い設定を都合良く使いルールも一貫性もない。一番気になったのは幽世(かくりよ、隠世)の部分でこれは作品内のキャラクターに喋らせている以上破綻していると言っていい。幽世に入れば出るためには代償が必要なはずだ。だが主人公はお酒=幽世のものを飲んで尚且つそのまま幽世を出てしまっている。一体何を犠牲にしたのかわからない。
この場合主人公が幽世を出るには酒を飲んで入れ替わった時点で組み紐が切れ、これが最後で二度と入れ替われないという暗示をすべきではなかったか。組み紐が切れて入れ替われなくなるという代償があれば常世に戻ることもできるだろう。そうすると黄昏時に時空を超えて出会うというクライマックスのシーンでも辻褄の合わない部分が出てくる。切れた組み紐は幽世にあるので渡せるはずがないのだ。常世と幽世を好きに行き来できるというのはルールを提示している以上あってはならないだろう。
エンディングも不可解だ。なぜ5年も経過させたのか?なぜ5年経っているのに何もかも忘れていないのか?5年という年月には主人公が大学を卒業する直前にすれ違いをさせたいという意図しか感じられない。黄昏で邂逅して以降の展開は蛇足としか思えない。物語であればあそこで会えた時点で助かることは決まっているので3年前に戻って助けるシーンも5年間無為に過ごして再会するシーンも必要ない。幽世に入れ替わりに関する全てを置いてきたとすれば黄昏時が過ぎて主人公が全てを忘れるというのは納得がいく。一方ヒロインは幽世に行った時にはお酒を置いてきているので入れ替わりが終わっても全てを忘れる必要はない。隕石から村の人を救った後に「3年後にあの場所に行く」ということぐらい覚えていてもいいだろう。そうすれば3年前のヒロインと別れた後何も思い出せない主人公のところに現在のヒロインが登場して全てを思い出すことができるだろう。物語はそこで終わればいい。主人公が大学を出るのもヒロインが社会人になるのも必然性がないのだ。
話自体は王道的ではあるが絵も物語もツギハギのちぐはぐなものだとキャラクターは操り人形にしかならない。心理描写も心の機敏もあったものではない。なんとなく爽快と思った人がいるのはわかるがそれだけだ。青春大好き高校生大好きな人たちは規則を守らず犯罪行為をしていいとこどり。都合の悪いことからは目を背け合理性や整合性を無視する。形骸化した法定速度、荒れる成人式、改ざんや不正に乱立する投資用マンション、「君の名は」にはごちゃまぜの混沌という日本がよく描かれている。
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