2017年7月17日月曜日

健全な市場を破壊するボランティアという悪

「ボランティアは悪だ」とまで言うと言い過ぎかもしれないがボランティア活動はなるべくしないほうがいい。何故ならボランティアは必要だが満たされない一時的なニーズに限定して行われるべきだからだ。ボランティアの機会があった時にはそれが一時的に必要であり他に代替案がなく今後も補助が期待できないかどうかよく考えてほしい。

日本に限らずボランティアはそれ自体がいいことで積極的なボランティア活動を推奨するような風潮すらある。だが後先を考えない無償の奉仕は結果的に経済活動を阻害し競争原理を破壊する危険があり安易にボランティア活動をすべきではない。簡単な例を挙げてみよう。グルメなお金持ちが美食を分かち合おうと採算度外視でレストランを開いたとする。当然他の同様なレストランより安いので客が集まり繁盛する。一方で同業者は赤字では続けられないので値下げはできず客足が遠のき廃業を余儀なくされる。外部からの経済原理を無視した補助、これが悪なのだ。

巨大チェーンのスーパーなどが資本力に物を言わせ安売りして地方のライバルを蹴散らすことは批判されるがボランティアも似たような構図を引き起こすことが多い。日本には地方自治体や町内会がボランティアと称して住民を無給で働かせる悪しき慣習があるがこれは行政の怠慢であり労働力のダンピングに他ならない。継続的に必要だが儲からずあまり行われない仕事、それこそが行政の仕事だ。草むしりや清掃活動が本当に必要なら税金をもらって行政がやればよい。それを住民に押し付け無償でさせるのは仕事を丸投げして本来お金をもらってすべき仕事を減らし雇用の機会を奪っている。

ボランティアとは微妙に違うが年金を受給している高齢者の再雇用でも同じようなことが起きている。年金をもらっているからと不当に安い賃金で高齢者を雇うという行為だ。本来は雇用者が支払うべき賃金を国が肩代わりしているという構図になる。これは一見すると高齢者は働くことができて雇用者は安く人を使うことができるのでWin-Winにも見えるがその陰で正当な賃金で雇われるはずだった補助の出ない人=若者が割を食っている。外部の補助で賃金ダンピングをして競争力を高めているというのが高齢者雇用の問題点だ。

これもボランティアではないが政府の補助金も近いものがある。補助金を受けているのは農林水産業に限らない。経営者であれば人を(一時的にでも)雇えば様々な雇用助成金を受けられるし特定の条件を満たした国民も補助金をもらうことができる。これらの補助が一時的で狙い通りの効果を上げているならいいが何度も繰り返し受給され利権となっているなら問題だ。例えば失業手当は次の仕事を見つけるまでのつなぎだがあえて短期就業と失業を繰り返し何度も給付を受けるのは制度の濫用である。ゾンビ企業もそうだが政府がお金で市場に介入することは市場を歪め正当な競争を阻害することになるのだ。

ボランティア然り経済原理を無視して外部から資本や労働力を補助することは健全な市場と経済成長を歪める。当事者からすればWin-Winだが補助ありきでそれがなくなれば市場自体が死んでしまっているので大きな需要がなければ市場は再形成されない。老子の言葉に魚を与えるのではなく釣り方を教えよというのがあるがボランティアは直接魚を与えたり釣りをする池に侵略的外来種を放流するようなものだ。

災害時の炊き出しやがれきの片づけなどのボランティアについては参加者が衣食住を自分たちで賄えるのであればよいことだと思う。ニーズが自力再建するまでと一時的で既に物的人的精神的金銭的被害に遭っている被災者にさらに負担を求めるのは酷だ。ただしこれも役人主導でやってしまうと色々と問題が起きかねない。東日本震災を名目に25年もの復興増税を課すようなことになりかねないのだ。お金だけ取り続けて使途不明ではそれは新たな利権だ。怪しいNPOやNGOも乱立しているので補助金寄付金の使途にも市民の監視の目が必要だ。

寄付をするにもよく団体を選んで見極めなければ中間搾取でなくなってしまうかもしれない。募金ビジネスというものまであり人の善意に付けこむあくどい商売もあるのだと肝に銘じておかねばならない。善意の押し売りは迷惑行為でしかない。学校で募金活動と称して寄付を強制するようなことがあったりするがそれは大人のエゴで稼げない子どもからお金を巻き上げるのは間違っている。本当に支援をしたいなら他人のお金に頼らず自分で働いて稼げるようになってからお金を出し続ければよいのだ。学校で募金活動をしたいならまず教師が率先してそれをすべきだ。

ボランティアがなくなれば雇用が増える。極論かもしれないが私はそう考えている。無償の奉仕は賞賛されることが多いが行き過ぎればあれもこれも何でもタダでやれという同調圧力になりかねない。誰かの奉仕を当たり前とするのではなくそれに正当な報酬が支払われ報われるようになれば世の中はもっとよくなるだろう。

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