2021年8月18日水曜日

気候変動 わからないことに振り回されるべきではない

 地球温暖化と言われだして久しいが未来について確度をもって言えることは何もない。地球が今後も暑くなっていくのかすら確かなことは言えず、ましてやどれくらい暑くなるのか、それは人類の社会活動の結果なのかなどの疑問は答えが出せるはずもない。長く生き残るためにできるのは合理的であることだけだ。

ここ数十年気温が上昇傾向にあったのは事実だろう。だがその原因はわからないしその傾向が今後も続くのかもわからない。原因が一つだけということもないし何がどこにどう作用しているのかもわからない。複雑に関わりあう事象、相互に影響しあうフィードバック、未知の事象や知られていない因果関係など、全てを理解するには人間は愚かすぎる。例えば隕石や噴火で太陽光が遮断されれば急速な寒冷化が起きるがそれらを事前に察知できたことがあっただろうか?わかっていたとしても対策は可能だろうか?答えはどちらもいいえだ。

気候変動を予測するには最低でも気流と海流と海底含む火山活動と地殻変動と太陽活動を把握していなければならないが実際は理解はおろか観測すらままならない。変化があったことに時間差で気付くのが精一杯だ。今日の天気も当てられない。明日の天気もわからない。もちろん来年の各地の平均気温を高い精度で予測することもできない。そんな現状で明日の天気の連続したその先にある将来の気候変動を正確に予測できるはずがない。パラメータを一つ変えれば都合よく変化を起こせるほど地球は単純ではない。

予測できることとそれを解決できることも別問題だ。ラプラスの悪魔が実際にいたとしても役には立たないだろう。演算能力があること、データがあること、理を知っていることはそれぞれ独立しているからだ。何故そうなるかわかっていなければ計算能力があってデータを持っていても何も解くことはできない。計算式がわからないからだ。そしてたとえ3つ揃っていたとしても理を変えることはできない。計算した結果人類は滅びることがわかりました、解決策はありません、ということも十分にある。未来予知ができてもそれを変えることが可能かはまた別であるのだ。

それが何を意味するかというと、根拠がないのに煽っても仕方がないということだ。地球は温暖化している。だからこうしたほうがいい。ではその策を実行するとどうなるのか?その結果すら保証できない。因果関係がわかっていないからだ。気候変動は地球規模の様々な事象に理解がなければモデル化できないし、モデルを作れてもデータがなければシミュレーションができない。モデル化も難しいしデータも不十分、両方あったところで計算能力も恐らく足りない。そんな状況で因果を決めつけ数十年後を予測できると言っているIPCCはよくて戯言だ。そもそも気候変動はリニアではないだろう。急速な温暖化、寒冷化もあり得るしもっと穏やかな変化もある。ある期間において変化しないことも当然ある。きれいな右肩上がりはむしろ不自然できちんとモデル化できていない証拠とも言える。

意図的に気候変動を起こすには地殻を動かしたり地震津波噴火を自在に起こせることが必要だが人類はそれほどのエネルギーを持っているだろうか?人間にマリアナ海溝やヒマラヤ山脈を作れるのか、ということだ。それらですら地球のエネルギーのほんの一部でしかない。地球にあるエネルギーは地球内部の化学反応と太陽活動によるものだが人類はそれらのエネルギーを取り出す術を持っていないしそれらに匹敵するエネルギー源も持っていない。人類と宇宙では動かせるエネルギーの桁が違いすぎるのだ。わかったつもりになるのも解決策があると思うのも人間の驕りであろう。

自然に介入できるということは地震や津波や噴火のエネルギーを吸収して活用したり大気の流れを操って天候を変えたりということにもつながってくるが人間にはそれを察知することはもちろん莫大な自然エネルギーを利用可能な形に変換することすらできていない。人間には特定の生物を食べ尽くして絶滅させたり局地的に多少の地形を整えたりすることはできるが、自然の大きな流れを変える力はないと言っていいだろう。今が氷河期の終わりなのか氷河期に向かっているのかもわからない。今より暑い時期も寒い時期もあったが人類の介入なしに気候は変動している。私は大した力を持たない人類が自然を変えられるとは思わない。

終末とはありとあらゆる差異が消えてなくなることだ。温度が均一で熱の移動が起こらず、物質が均一で化学反応が起こらず、地殻変動も自転も公転も止まる未来は確実に来る。全てが均一となり低位で安定するのが世界の終わりだ。この理を打ち破ることだけが永遠の繁栄を意味するがそれは可能なのだろうか?統一された目的を持った統率された集団であればそれも可能かもしれないが私利私欲で動く今さえよければという動機付けの集団には不可能だろう。

人間が生きていくためには明確なロードマップが存在する。最終的には宇宙を作って引っ越せるようになるのがゴールだ。地球、太陽、銀河系、宇宙には寿命があるがそれらを作って移住することができるならば永遠に暮らしていくことができる。だがそれらを実現する間もなく人類種が絶滅するほうがはるかに早いだろう。地球環境に大きな変化があれば数百年、短ければ数十年のうちに人類がほぼ死滅することも考えられる。今がなければ未来もないが、未来がない今であれば刹那的な楽しみしか許されない。人類の意思統一ができなければ滅亡は確定している。

目的に向かって真っすぐ進めればいいが短期的には作るより奪うほうが楽なことは蛮族の歴史が証明している。奪って消費してなくなれば滅亡する。それを防ぐには蛮族を滅ぼすか自衛の力で均衡を作るしかない。実際のところ人間は争うのが好きなので意思統一して協力しあうのは不可能だろう。国防をしつつ片手間で絶滅を回避するのは難しいが現実的にはそれをやっていくしかない。軍事転用も可能な技術開発をしていくことになるだろう。国家間でもフリーライダーは存在しているのだ。

宇宙レベルの話は置いておいてまず必要なのは食料と水と居住可能エリアの確保だ。火星に行くなどと夢のまた夢の話をするよりは砂漠や海底に住んだり月に移住したりするほうが現実的な目標となるだろう。そこでエコシステムを確立することで初めて可能性が広がってくる。外部の資源に頼らず独立した環境でやっていけることこそが生き残ることへの第一歩だからだ。地球のどんなひどい環境でも宇宙よりはましなはずで地球の悪環境さえ克服できないのにその先の宇宙開発の話をするのは時期尚早だろう。

水と食料と居住可能エリアの確保を同時に可能にするものが一つだけある。それはエネルギーの確保だ。大きなエネルギーさえあれば水も食料も住む場所も作ることができる。理想はエネルギーの生成だがこの分野はまだまだ未発展だ。理に反することもできない。考えられるのは核融合や物質をエネルギーに変換する技術やバクテリアであろうか。光とプラスチックで石油を作れれば大発明だろう。太陽と地球のエネルギーに頼っているうちは閉じたエコシステムとは言えないが無から有を生み出せるレベルのテクノロジーがないと繁栄を続けることはできない。持続可能な資源など存在しないのだ。

エネルギーの生成より手前にエネルギーの貯蔵というものがある。エネルギーを効率的に貯蔵することさえできれば非効率なエネルギーや不安定なエネルギーを貯めておくことができる。この分野の正しい道は液体か気体の燃料だろう。希少資源のリチウムでは量が足りないしリサイクル法すら確立されてない。リチウム電池は発電時、送電時、充電時、使用時にそれぞれ無視できないロスが発生して電池の生産と廃棄の問題もある。バッテリーロケットでも実用化できれば可能性はあるがリチウムでは重すぎて飛ばないだろう。気体では体積が大きくLNGが使用されていることを考えれば本命は液体燃料だ。石油が最高のエネルギー資源であることから常温で液体の燃料を開発することがエネルギー問題解決への第一歩だ。

液体燃料の候補には水素やバイオエタノールなどが挙げられるが液体化する技術さえ開発できれば水と電気で作れる水素が有望か。洋上メガソーラーで液体水素を作ってタンカーで運搬するような形なら既存のインフラも活かしやすい。もちろん海上に注ぐ太陽光を遮断することで海水温の低下による海流の変化や周囲の生物環境への悪影響なども考えられるので再生可能とは言えないがわからない因果を都合よく無視して根拠もなくこうすれば持続可能と言い張る経済団体の勧告に盲目的に従うよりはましではないか。

現在の文明レベルでは気候の予測はおろか観測すら十分にはできていない。わかったとしても対策ができるかもわからない。そんな状況では脱炭素は何の答えにもなっていない。意味があるのかすら不明だ。わからないことにあてずっぽうで挑むよりは無駄な買い物をしない、効率を求める、無駄を出さない、廃棄を減らすなど合理的な態度でできることをやっていくほうがよいだろう。

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